ノストラダムス大予言の真相!

 愛は思いやり。思いやりとは相手の身に成って考えると言う事で、ノストラダムスの予言詩でも思いやりをもって読めば、即ち彼の置かれていた立場、時代を考慮すれば真意は自ずから分かります。
 ノストラダムスは、16世紀といえば中世の末期、南フランスに生きたユダヤ人で先祖伝来のユダヤ教を捨てカットリックに改宗した医師です。
 となれば、彼の予言の関心は、宗教や政治であったでしょうが、フランスの将来であり、広くても西欧止まりで日本など何の関心もなかったろう、人種的には同胞ユダヤ人の未来を案じたにしても、現在の日本人(あるいは現在の日本人の持つような関心事)の事など言うつもりは全くなかったに違いない。
 例えば1巻25の「そこでパスツールは、半ば神のように尊敬される-----」から日本人なら狂犬病のワクチンを発明したパスツールを想像します。
 しかし少し聖書を知る者なら、イエスの言う「わたしはよい羊飼いである(ヨハネ福音書10章11節)」との係わりを想定せざるを得ません。というのは、パスツール(Pasteur)の意味は羊飼いであり、「半ば神のように尊敬される」羊飼いとはキリストの事と普通、西欧では考えるからです。
 また2巻46の「大いなるモーターが時代を一変する」の大いなる(モーターLe grand moter)を見てエンジンで動く自動車やジェット機に代表される機械文明の世を考えます。
 しかし、宗教的な事に関心の強かった彼が予言した真意は、偉大な全能者即ち神でしょう。
 こういう風にノストラダムスの予言を解説していく。その結果、紹介者五島氏は、彼の予言が、ことごとく的中しているとしばしば賞賛されます。
 しかしわたしはそうは思いません(五島氏は、大予言ー希望編106Pで「ーーーーーーー聖書の暗号の解読にかけては、おそらく世界有数の腕をもっている」と賞賛されているので、彼に感謝せねばならないが)
 が、どうしても当たっているというなら、一つは、聖書の予言にあるのと極めて似ているという点に注目すべきです。中世の末期の西欧で、もともとユダヤ教徒であり、カットリックに改宗した知識人が、黙示録やイエスの予言を知らぬはずがない。すなわちそれらを当然読み知り得たであろうノストラダムスが、その影響なしに未来を予言したとはとうてい思えません。
 例えば彼の予言詩10巻72を取り上げてみましょう。
1999の年、7の月
天から恐怖の大王がやってくる。
アンゴルモアの大王を蘇生させるために
その前後に、マルスはえらい 幸運によって、
支配するだろう。
  これは黙示録12章1節より13章18節と見事に対応しているのが、分かられると思う。
またこの12章と13章は、有名なハルマゲドンの予言のある16章13節とつながります。
        黙示録12章と13章  黙示録16章13節
恐怖の大王    12章1より18節  赤い龍 龍=サタン
アンゴルモアの大王 13章1より10節 海からの獣 獣=反キリスト
マルス   13章11より18節 陸からの獣 偽預言者
1999の年、 13章18節   六百六十六

 1999と666の関係は、直接には666の逆さにした999にあるに違いありません。ノストラダムスの問題の年を1999とした根拠は、二千と二千の三倍の六千と関係があろう。ノア六百歳の時、大洪水が起きているとなれば、人類六千歳の日に火の大洪水が起きる。ユダヤ人の先祖アブラハムの99歳の年ソドム・ゴモラの町は火で滅ぼされています。またこの災厄は、アダムから二千後に起こった事です。
 1999年について、ノストラダムスが影響を受けた聖書の言葉には次のものが想定できる。
 主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。   ペテロの第二の手紙3章8節
 神は第七日にその作業を終えられた。 創世記2章2節
 六日の間に、(つまり)六千年の間に、すべては完成されるであろう。  聖書外典のバルナバの手紙4節
 その二に言えることは、予言が当たる様に翻訳し、それを更に予言が当たる様に解説している要するに解釈の絶妙さに大きく依存しています。即ち矢を射て後、的を描き「的中、的中」と叫んでいるようなものです。