はじめに



 現代の科学によって、 ずいぶん我々は救われているし、 幸福になっている。 しかし、もちろん、 何から何までそうだとはいえない。 物によっては、 科学的に作ったものは品質が悪い場合もある。合成酒等その例であるし、 化学的処理によって早く作ったものは、 味が落ち、 うなぎでも、養殖すると、 天然のものよりもまずくなる。
 また、 科学は、 一定の仮定の上に立っている。 人類学によれば、 人間は、 サルから進化したそうであるが、これを説明するのが大変であって、 進化論も、 信仰に近いものになっている。 即ち、仮説の仮説によって、 ようやくこの仮説を説明している。 科学というものは、 発達する。そのため今まで正しいと思っていた仮説が、 根本からひっくり返ることもある。
 だが、 根本は仮説であっても、 科学は現実的に実力な持っている。多くの人々は、この科学の実力に感謝したり、 利用したり、 圧倒されているから、科学そのものの持つ不可解な根拠に気がつかない。
 しかし現代人は、 科学の必要をますます痛感する反面、 科学に対し、 非常に懐疑的になりつつあるという事があげられ、この調子でいくと、 科学がはたして人間を幸福にしてくれるかどうか疑いをいだくようになっている。
 あまりに科学が発展していくと、 機械が人間を支配するようになるのではないか。原子力を、 人間がどう使うか、 その使い方を一歩誤れば、 人類を最大の不幸に追いやるようになるのではないか。また軽い気持ちで考えても、すべてが機械的にドライになって、 生活に情緒がないことを悲しむ人もふえつつあるようで、 " 月がとって青いので、 遠まわりして行こう "というような情緒が失われていく。 こういうのを嘆く人を見れば、 科学に対し、 懐疑的にならざるを得ない。
 さらに、 科学でも解決できない多くの問題がある。 それは、 人は何のために生きているのか?人はどう生きるべきか? どう生きるのが正しいのか? という問題や、 人間の死についての問題等、 代表にあげることができよう。 では、なぜ科学が解決できないのか?
 「生きるために食うのか?」
 「食うために生きるのか?」
  これも大問題であろう。諸君!




もどる