その本質的違いと関系の解明
since November 10 1999



 宗教は、非科学的という言葉で代弁できるように。旧世代の知恵の代表で捨て去るべきもの、忌まわしいもの。科学は新世代の知識の代表で百パーセント歓迎すべきものと考え、科学がナンデモ解決する。それは絶対的と信じるから宗教と化している。ゆえに何事も科学的に見て考え行動するべきと望む。

 しかし現実に人はそんなに科学的にもなれないで、宗教は非合理的で不合理とかいう言いながらもそれからナカナカ抜け出されない。

 知性の面ではとかく、両者はとても共存できない対立するものと思われて久しい。しかし、現実は仲良く共存しているようにも見える。 では不釣合いな男女の腐れ縁のような科学と宗教の魔可不思議で不可解な関係をどう理解するか。

 両者の関係を解き明かす諸説も多い。そのほとんどは、具体的事項を扱う、即ち森とその森の木々で言えば、木という部分にだけ視点がある。しかしこのページでは、この関係を哲学的に解き明かす。森とその森の木々で言えば、森という全体を見て考え見ようと意図するのである。



はじめに

 A どうして?(目的と手段)

    カメラと自動車と どの方へ行くべきか? どうして来たの?  どうしての違い
    手段と目的の関係 手段は下僕、目的が主人 日本人の宗教観は少し違う

 B 有ると有るべき(事実と真理)

    よくヤル事実と真理の混同  土台と建物
    あるがあるべきを決めてはならない  事実と真理 

 C 見るだけの人とする人(客観と主観)

    見るだけの人とする人との違い (宝くじは買わない限り絶対当たらない)
    天動説が正しい? 死の世界

 D 愛(関係)で決まる。 

    関係があって始めて生きる   神の言葉もそれだけでは生きない
    神の子を映す人間受像機  事実の真実性  聖霊の介在

 E 生まれと育ち(宗教や科学が生まれた環境)

    聖書を育んだ自然環境 自然が神になってしまう風土
    遊牧と農耕という生活の違いが産んだもの 絶え間ない戦争と異文化 の侵入

 F 科学の論理と宗教と科学の闘争

    科学の論理  理性偏重  科学と宗教の闘い

 G 終りに、 創世記1章より3章まで 神のかたち(向上進歩)を求めて

    サルと人間の違い 大人のおもちゃ カラダはカラだ 人形と人間の違い
    裸が恥かしいとは  知恵の木の実は何の実? いのちの木と善悪を知る木