E 生まれと育ち(宗教や科学が生まれた環境)



 どんなものも、そこに現実に有る限り、何か(何処か)の場に居る。その場無し(場を考えないで)に、そのものは有リ得ない。すべてのものは、その場にあるべくして有る。だから、それはまず、そこに「何故あるのか」という必然性を考えなければならない。Aがそこにあるということは、Aがその場と調和しているということだから、その場から、Aを推測出来、逆にAからその場も想像できる。また調和してこそ有り得るから、当然、相互に影響を受け合う。 
 これは、民族やその文化や思想、彼らの生きた環境や宗教でも同じ事が言えよう。その場合、それが有る場や環境の力の大きさを無視できない。時に場や外見や容器がその中身や内容を決定するという事もあろう。
 そういう点で、目的が手段に征服されてしまった、あるいは理想が現実に征服されたというのが、人類の歴史でjはないのか。神のことばが世界を創る(ヨハネ福音書1章1節)という理想とは逆に、世界の現実に神のことばが創り変えられてしまったというのが、歴史の冷厳な事実なのではないか?
 何かの宗教が民族の文化や思想や生き方を決めたのでなく、民族の生きた環境がその民族の文化や思想や生き方を決め、その生き方が宗教をも性格付け、決めたのである。だから開祖や教祖とは無縁としか考えられないそれでも、それとして通用する。だから逆に開祖や教祖が説いた教えは誤りで異端とすらされる。
 人の良し悪しを国が決める時、法律の定めによる。その物差しである法そのものを裁く基準となると、むろん憲法となる。だが、その憲法を誰が裁くか、そういう物差しの物差しそのものを問題にするという事を避ける傾向が日本では強い。そもそもそういうものを問題にするという土壌がないのであろうか。


聖書を育んだ自然環境


 長く雨の降らない砂漠の大地は、 生命のない死んだ苛酷な世界である。
  人は、 そのよわいは草のごとく、
  その栄えは野の花にひとしい。
  風がその上を過ぎると、うせて跡なく、
  その場所にきいても、 もはやそれを知らない。  ( 詩篇一0三篇一五節、 一六節 )
 砂漠の熱い乾燥した風は、 瞬時に青草を立ったまま枯らす。 それはまたちょうど手頃なたきつけになるほどに枯れ果てる。
旧約聖書を伝えたユダヤ人の生きた自然と社会は、 恐ろしい過酷な仕打ちを彼らにしてきた。またそれは瞬時に大変革するものであった。 すなわち自然や社会はたえず彼らの間を引きさき、また裏切ってきたのである。 だからこんなものを神様にしていたのでは命がいくらあっても足らない。
それだから彼らは自然や社会を超えた別のところで、 これを創造し支配された、永遠の神を見つけ信じたのである。
  われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。  ( 詩篇一ニ四篇八節 )
 自然はあくまで神の創造になり、 いつか破壊されるものである。 世間様という社会も、時代と共に変革されるものである。
  先の天と地とは消え去り、 海もなくなってしまった。  ( 黙示録ニー章一節 )
  もろもろの君に信頼してはならない。 人の子に信頼してはならない。 彼らには助けがない。 ( 詩篇一四六篇三節 )
 このように聖書によれば、 自然もその中に住む人間も変わるもので信頼できないものである。また人は自然や国家、社会の子ではなく、神の子供とある。 ということは自然や社会は、 そこから多くの学ぶ事もあるが、人の親とか教師とか主人というのではなく、人間個人にとっての生きる場であり、生活の手段なのである。
 聖書の著者が前提にしている過酷な砂漠や荒野であっても、 一度水分を含んだ風が吹き、天空から降る雨天ともなれば不毛の大地は一変する。 自然の草木は芽を出し、 生命が蘇るのである。
  主に感謝して歌え、
  琴にあわせてわれらの神をほめうたえ。
  主は雲をもって天をおおい、 地のために雨を備え、
  もろもろの山に草をはえさせ、
  食物を獣に与え、
  また鳴く小がらすに与えられる。   ( 詩篇一四七篇七節より九節 )
 こういう環境の中において、 人は「生命は神のいる天から雨と共に来る。 だから大地自然の内にはない」という自然観を当然のように持ってくる。
 それでこれが発展すると、 しぜんと次のような帰結にいたる。万物は、 神が関与するところで始めて生き、生成変化する。 だから神の働きがない場合には、 万物は生成も消滅もしない。 また神から来るいのちの元( 神の霊 )が宿らなければ、 何ものも生命を持ち得ない、 と。
 だから聖書には次のように書いてあるといわざるを得ない。
 土のチリを集めて神のかたちに造りあげても、 それだけでは人は生きることはできない。地のチリには生命はないからである。それに、 生命の実体である神の息( 神の霊 )を吹き入れてもらわなければ、 人は生きたものとはならない。
 この神の息( 霊 )こそ人を真に生かすものであり、 また万物の価値を根底から決めるものである。
  神の霊はわたしを造り、
  全能者の息はわたしを生かす。   ( ヨブ記三三章四節 )
 造られたものとは、 そもそも壷、 土器のように命がない。 またものすごく無能で不完全なものである。だから罪を犯し、 愼悔する必要が生れる。 万物は神に造られ、 始めて在る。神に支えられて始めて在り得る。また神の息( 霊 )を吹き入れてもらうことにより始めて生きたものとなったのが人であった。
 そのうえ、 自然大地は、 この神の息を宿した人間が生きることで始めて生きる意味を持つ。
  被造物は、 実に、 切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 かつ被造物自身 にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されてい るからである。   (ローマ人ヘの手紙八章一九節と二一節 )
 物の価値とは物のいのちであるが、 これにも神が息を吹き入れて始めてそのものの値打ちが出てくる。だがそれも人を経由してである。 神は息を入れ人を生かす、 その上で人は、ものの価値を見い出すのである。
 きびしい自然を背景とする土地に生まれたものであれば、理想と現実をはつきり区別して非常に冷酷に現実を直視し、理想は理想としてまたきびしく現実と区別せざるを得ない。しかし、こういう砂漠という草木の生えない死の世界に天より雨が降れば、 一転して命あふれる緑地に変わる。 生命が大地に与えられたのである。 こういう変化を目のあたりに見れるところでは、「大地の現実は死、 地獄であり、理想世界は天にある」との発想を容易にさせる。
  人を正しく治める者、 神を恐れて治める者は、 朝の光のように、 雲のない朝に、輝きでる太陽のように、 地に若草を芽ばえさせる雨のように人に臨む。 (サムエル記下二三章三節、四節)
 雨が降ると大地に若草が芽生えるという現実を見る時、 正しく治める者、 即ち救い主の登場もそのようである。それは天という理想世界から来、 その変化は革命的に激変するものである。
 これはイエスのすすめられた祈りにも「みこころが天に行われるとおり、 地にも行われますように( マタイ福音書六章一0節 ) 」とあるようにそのすまあらわれている。
 だが雨が多い東アジアでは雨が降っても降らなくても、大地は大きな変化を呈すことはあまりない。こういうところでは「ある 」と「あるべき 」の違いは生れにくい。 現実と理想の違いがあまりない。だから自分の人生、 社会、 国家、 生活の変化を嫌う。 あるいはそれらを運命と考え変革が可能であるとは思えない。


自然が神になってしまう風土


  このような理想と現実を分けて考えられる乾燥した西アジアの大地に対し、日本や中国のような東アジアの四季の変化の著しいモンスーソ地帯に生きる民には、両者を別のものとは考えにくい。なにしろ雨が降る前からすでに水が豊富にあるのだから、神の居られる天から何が降ろうと、大地の自然世界にあまり変化を見ない。 それでこういう地域では、西アジアの乾燥地帯で受け入れられた自然観は認めがたいところがある。 東アジアでは、四季という時の自勤的ともいうべき流れの内で、自然は様々の変化を繰り返す。こういう環境に生きる人々は当然大地の内にも、 チリの中にも生命が始めから宿っていると考えてしまう。
 また、 万物は流転するように生物の内なる霊は、 昆虫から獣、 さらに人間に至るまでそれぞれ変転するカルマの法則の支配下にある、と考える。
 このような世界では、 当然人々は、 神は自然の内に命としてすでに宿っていると見る( 神道 )か、 自然宇宙自体が生命体であると見てこれを神と考える( 仏教や自然科学 )かのどれかに賛同せざるを得ない。
 こうした風土のもとでは、 多くの人にとって自然は神であり、 やさしい母親である。この自然に対し、 人間は自然のふところに抱かれた「まだはっきりした人格なもたない幼児」であると見ている。 ちょうどマリヤに抱かれて眠る赤子イエスのように自分たちを見ている。自然に対し絶対的な信頼がある。 これが破壊されるとか、 これに見捨てられるとかは考えられないのである。だからこういう自然を神とする考えでは、 無関係は無( 死 )に等しいという意味がわからない。
 そして母親には絶対甘えてそれ以外のものとは、 無関係の状態を求めようとする。また世間様という亡霊に絶対服従である生き方をしてくると、 戦争や革命のような社会体制自体が激変することがないかぎり、無関係は無に等しいという体験を持ち得ない。
遊牧と農耕という生活の違いが生んだもの
  わたしは良き牧場で彼らを養う。 その牧場はイスラエルの高い山にあり、 その所で彼らは良い羊のおりに伏し、イスラエルの山々の上で肥えた牧場で草を食う。  ( エゼキエル書三四章一四節 )
 これは聖書の著者の理想である。 やがて救い主が来られればこのようになるとの預言である。
 山羊、 羊を追う遊牧民は草の有る所から有る所に移動し、 さ迷う。 草が無ければ有る所、有るはずの所に移動する。それも草の有るべき所に有るはずのものが無いことがある。 それも人問の働きで生え、育ったものでない。 だからあるとあるべきの違いは人間の努力や理解を超えるものである。
 だが農耕の民にとっては、 有るべき所に有るはずのものが無いというのは自分が怠けていたせいである。あるとあるべきとの違いは自分の努力の有るか無いかの違いである。 あるとあるべきの違いは容易に説明でき得るものである。
 農耕の民はそれがどんな土地であれ、 その土地に絶対的にこだわる。 その上、日本のような島国ではどこにも逃げられない。 どんなに痩せた土地であろうと、狭かろうと、 望みの無い地方に居ようと同じ土地を一所懸命に耕し、 そこに住むしかない。またそうなればただみんなと同じように行動し自己の保身だけを考え、 消極的、保守的にならざるを得ない。
 だからその土地という環境が人間の在り方を決めると考え、 それを神にする。
 だが、 遊牧民や騎馬民族にとっては、 同じ土地にいてはならない。 草が無くなれば速やかに有るところに移動しなければならない。なぜなら、 同じ場所に居つづけると家畜は草の根まで食う、 その一方で同じ土地に糞尿という肥料を過度に投じることになる。そうなれば、 地は再び草を生じることが無いまでに荒廃するからである。
 また農耕民はいっせいに水を引く、 いっせいに収穫するというふうに同じ田畑に出かけ、同調行勤を取る。だが遊牧民は「 その地は彼らをささえて共に住ませることができなかった。 ー――どうかわたしと別れて下さい。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。 あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう( 創世記一三章九節 )」 とあるように、 同じ家畜を飼うという行動はとれても、別の土地に行かねばならない。
 また駿馬民族にとって、 同じ土地にいつまでも居ることば、 敵の標的にされやすい。だから絶えず移動することが彼らの生活の知恵となる。
 こういう生き方をする彼らは、 なんのためにそこに居るのか意識せざるをえない。羊や山羊に草を食わせるために、 その地に居る。 だから遊牧民は有能な唯一人の指導者を立て、現実的、実利的、 合理的に考え動かざるなえない。
 土地を変えることは、 そのまま家、 会社、 夫あるいは妻すらも簡単に変える事につながる。ダメな亭主などさっさと別れ、 すぐ新しい男とくっつく。 だから永く付き合った者からみれば薄情に思える。だが初対面の見知らぬ人には親切になる。
 こういう行動は農耕民には非道に思える。 仕事や異性を変えるなど軽薄なことであり、軽蔑に値する。 だから絶望的な会社で働き続け、 どうしようもないぐうたら亭主とも別れられない妻がいる。地縁、 血縁の結束がかたく、 知っている人には親切だが知らない人には冷淡になる。
 こうして土地の民は、 土地、 伝統習俗、 家、 親、 先祖を神にする。 だが家畜を飼う民にとってはそれらはあくまで生活の手段なのである。神はそれらを超えたところにおられる。 これからの世界は、 都市化、 国際化、 流動化するに違いない。そうなれば土地にこだわる宗教は自分たちの生活実感からいって合わなくなっていき、受け入れがたいものになっていくに違いない。
 聖書は、 世界史を遊牧民と農耕民(アベルとカイン、へブル人とカナン人)、近代においては新移民と原住民との闘争とみている。 その歴史観は前者の勝利、後者の敗北と預言しているようであり、 現実の歴史はそのように動いている。
 信仰の父といわれるアブラハムは、 生まれ育って老人になるまで長く住みなれたバピロンの地を離れた。ここにその選民ユダヤ人としての起源があり、有る有るべきに変えるべく約束の地に向かう。
 数百年後、カナンに侵入しようとしたヘブル(後のユダヤ)人たちは、 「今その土地、社会で信じられ支配している宗教は「あるベきそれではない 」即ち罪、 悪、 誤謬の元凶である。だからその魔教からかれらを救ってやらねばならぬ 」という聖なる使命に生きたのである。
 これは神の言葉という、 平和的手段で戦うキリスト教になっても同じである。だから宣教のエネルギーは有るものと有るべきものの落差から生まれたといえる。
  ただ、 聖霊があなたがたにくだる時、 あなたがたは力を受けて、 エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、 さらに地のはてまで、 わたしの証人となるであろう。 (使徒行伝一章八節)
 このキリストの預言がなされたように、 世界の罪の「今ある 」現実を、 神の認める「あるべき」理想に変えるために、 キリストの証人は地の果てまでも伝道して歩くのである。それは世の終わりまで絶えることのない闘争なのである。


絶え間ない戦争と異文化の侵入


 あるとあるべきの間に違いが生まれないのは、多様な変化が自然だけでなく社会的にも少ないからである。 戦争と異民族、異文化の侵入は、多様な価値感( 観 )の違いを露骨に表す。
   「ーーわたしの言葉を火とし、 この民をたきぎとする。
  一ー火は彼らを焼き尽くす。 」
  主は言われる、 「イスラエルの家よ、
  見よ、 わたしは遠い国の民を あなたがたのところに攻めこさせる。――」   ( エレミヤ記五章一四節、 一五節 )
 こういう預言がしばしばされたこの国では、 事実多くの超大国の軍馬の蹂躙する所となった。そうなれば昨日まで正しい、 美しいと思っていたものが異邦人、 異文化の侵入によって今日には間違い、醜いとされることがしばしば起こったのである。
 昭和二十年八月十五日を境にして日本では、天と地が逆転したような変化が急激におとづれた。このような事が、 聖書の世界では絶えず起こっていた。 そこでは、 過去( 民族の伝統や歴史 )と現実(異邦人の強制するそれ )と理想( 自分たちが選択すべき未来の在り方 )の違いを明確に区別しないと文化的には生きていけないのである。
 ところが日本のような閉鎖社会では、 他と比べることがでぎないので「あるがあるべき」になってしまう。
 また自由のないところには、 人間が何のために生きているのか、 問いかけがない。あるとすれば、 国家や社会に奉仕するためにだけ人はいることになる。 そういう国や社会では、思想、 宗教、 言論が一元化されていてその自由がない。 考える自由がないと、 人がどうあるべきかは、その一元のレールの上で問われるだけで、 それ以外に問いようがない。
  人はめいめい自分の罪によって死ぬ。 すっぱいぶどうを食べる人はみな、 その歯がうく。
  ――しかし、 それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、 わたしの律法を彼らのうちに置き、 その心にしるす。 わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。  ( エレミヤ記三一章三0節、 三三節 )
 エレミヤのこの時代はまだ人々は集団全体、 種族全体で行動し、 個人の責任の問われない時代であった。親が子の結婚を決め、 職業を決め、 罪は全体責任であった。 また親の因果が子に報いるというように罪の結果としての刑罰は子孫にまで及ぶとされた。
 だが「それらの日」即ちキリスト教の時代になると、 神は集団の中に住まわれるというより、ひとりびとりの心の内に往まわれる。 そうなると自分の行動の結果は、親の責任や環境のせいではなく、自分の責任となる。
 自由とは、 自立なしにありえない。 自分で考え、 判断し、 自己の責任で行動する。ここで、はじめて人は「ある 」と「あるべき」の深刻な違いに気付くのである。




もどる