ペンテコステ礼拝

『聖霊による命』

使徒言行録2章1節~42節

 

『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。』[使徒2:17]

 

 今日(6月4日)は、ペンテコステ、すなわち聖霊降臨祭だ。

それは「何の日なのか?」というと、キリスト教会が出来た日なのだが、初めてクリスチャンが誕生した日ともいえる。

 

ユダヤ人の神に起源をなす伝統によると、ペンテコステは麦の収穫感謝祭である。その日に聖霊が降ったという事は、この日から天国の蔵、つまり神の国が開かれたということである。

 イエスキリストは言われる『だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国にはいることはできない』と。[ヨハネによる福音書3章5節]
これは文のつながりから見れば、水による洗礼と聖霊による洗礼を意味する事は明らかで、洗礼で古き人は死に、聖霊により復活(新生)する。

キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。…… わたしたちも新しい命に生きるためなのです。…… [ローマの信徒への手紙6章3節~11節]

「人の命とは何であるか?」「それは神の霊すなわち聖霊である」というのが正解である。

創世記2章7節には
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となったとある。


この命の息を吹き入れられたと同じ事をキリスト様はされる。

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でもあなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。
[ヨハネによる福音書20章21~23節]


 この聖霊は、「キリストを甦らせた」と同じ霊である。
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。[ローマ信徒への手紙8章11節]

この聖霊がイエスを信じる人々に注がれる。初めて大規模に注がれた日が、ペンテコステである。


 信じる者は救われる(信じない者は救われない)といわれるが、そこに「罪の赦し」が係わっている。
清い国には清い者しか入れないからである。

 さらに言うなら、神の国には神の子しか入れない。人は皆神の子だと言われるが、アダムとイブが禁断の実を食べたので、神の子ではなくなった。

神の子だけが神の家(天国)を相続できる。元の神の子になるには聖霊を受ける必要がある。母の胎から生まれ出たままでは神の子ではないのだ。

「はっきり言っておく。だれでも、水と霊とによって生れなければ、神の国に入ることはできない。肉から生れた者は肉である。霊から生れた者は霊である。」[ヨハネによる福音書3章5節]

人は、新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」[ヨハネ3章3節]と、イエス様は言われた。

新しく生まれるには水と霊が必要で、水の洗礼により古き自分は死に、聖霊の洗礼により新しく(神の子として)生きるのだ。
 
「信仰を持つ」=「イエスを救い主と信じる」には、聖霊の力や助けが必要だが、「信仰をもっただけで聖霊を受けている」と考えるには聖書の根拠がとぼしい。

キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。[ローマの信徒への手紙8章9節]

あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが神の国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。[エフェソの信徒への手紙1章13,14節]
信じた後に、聖霊の証印を押されているのだから、聖霊の導きの結果、信じたということではない。

 神の国(天国)に入るためには、信仰だけでなく、水の洗礼と聖霊の洗礼が、欠かせない。
わたしたちの救い主イエスキリストは、最初の神の子として模範を示された。

民衆がみな洗礼(バプテスマ)を受け、イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえた。[ルカによる福音書3章21~22節]

聖霊の働きには、イロイロの徴(しるし)が今も伴う。
それで問題が生じることも多いが、すべては神のなさる事で感謝だ!

2017年06月04日